今から半月ほど前のこと、スーダンからエチオピアに入国した初日、国境の街メテマの定食屋で少し早い夕食をとっていたとき、僕は店にいた客のほとんどが食事もせずに室内のある一点に視線を集中させていることに気が付いた。「いったい皆、何を注視しているんだろう?」、そう思った僕はテーブルから立ち上がり、彼等の視線の先を追ってみると、そこには古いブラウン管方式のテレビがあり、「世界陸上ヘルシンキ大会」の男子マラソンの中継が放送されていた。
中継はちょうどレースの終盤に差し掛かったところで、アフリカ系のランナーが引っ張る先頭集団には東洋系のランナーも2名含まれていた。そしてその2名のランナーはどちらも日本人だった。僕にどうして彼等が日本人ランナーであると認識できたのかというと
「Tsuyoshi Ogata」 「Toshinari Takaoka」
という選手名を示すアルファベットのキャプションが映像に重ねられていたからである。僕はスポーツの中で一番好きなのは球技であり、マラソンを含めた陸上競技にはあまり関心が無いのだが、日本人ランナーがメダルを争っているとなると、さすがに少し興味が湧いた。ちょうど出された食事が自分の口に合わなかったということも手伝って、いつしか僕も他のエチオピア人客と同じように食事よりも中継のほうに気をとられるようになっていた。
レースはモロッコの選手が1位でゴールのテープを切る。2位はタンザニアの選手、そして銅メダルは日本人のランナー(Tsuyoshi Ogata)で、4位も日本人ランナー(Toshinari Takaoka)だった。彼等がゴールした瞬間、僕は思わず
「やった!」
と言って拍手をしてしまったのだが、そうしたところそれまでテレビの映像に夢中になっていたエチオピア人客達が僕のほうを振り返った。そしてその中の一人の男性が僕に向かって
「君、日本人なの?おめでとう。」
と、言ってくれたのだった。
僕個人の趣味はともかくとして、一般的に言ってマラソンは日本で人気のあるスポーツだと思うのだけれど、実を言うとエチオピア人にとってのマラソンはそれ以上であり、もうほとんど「国技」に近いほどの人気がある。だから国民は大会で競技する選手の活躍に注目するし、そのテレビ中継は国民とって重要な娯楽でもある。そしてエチオピアのマラソンは人気だけでなく、もちろん実力も兼ね備えている。それは彼等の実績が証明している。
エチオピアは昨年(2004年)のアテネ・オリンピックこそマラソンでメダルを獲得することはできなかったが、その前のシドニー・オリンピックでは男子が金(ゲザハン・アベラ)と銅(テスファエ・トラ)の二つのメダルを獲り、更にひとつ前のアトランタ・オリンピックでも女子マラソンで金メダル(ファトゥマ・ロバ)を獲っている。この大会では有森裕子とメダルを争ったことから、ファトゥマ・ロバという名前を今でも覚えている日本人も多いだろう。
けれども、「日本でも有名なエチオピア人マラソンランナー」ということではなくて、「世界的に知られているエチオピア人マラソンランナー」ということになると、ファトゥマ・ロバではなくて、やっぱりアベベ・ビキラ ― 1960年のローマ・オリンピックのマラソンを他者の追随を許さぬ速さで優勝した
「裸足のランナー」
じゃないかと、僕は思う。『裸足のアベベ』が有名になったのは、詳しく説明するまでもないことだけれど、オリンピックのマラソン競技を文字通り「裸足で走った(しかも優勝した)」からである。近代オリンピックはこれまでに30回ほど開催されているけれど、マラソン競技を裸足で走って金メダルを獲得したランナーなんて(多分)彼だけである。
それからアベベ・ビキラは4年後の東京オリンピックでも同競技で金メダルを獲得してオリンピック史上初のマラソン連覇を成し遂げ、その名声を更に世界に広めることになるのだが、そうは言ってもローマオリンピックと東京オリンピックが開催されたのは1960年代のことであり、リアルタイムで彼の走りをテレビ中継などで見ていた人達と比べれば、1970年代生まれの僕なんてアベベの名声について、特に詳しいわけじゃない。
そういうわけで、1960年代にはまだ生まれてもいなかった僕とR輔クンは「裸足のアベベ」についての更に深い知識を得るために・・・というのは方便で、実はただ暇だったからというのが第一の理由なのだが、いずれにしてもせっかくマラソン大国に滞在しているのだからというわけで、裸足のランナーにまつわる場所へ行こうということになったのである。
では裸足のランナーにまつわる場所というのはどんな場所なのかというと、それは彼の「お墓」である。アジスアベバには彼の墓があり、それは彼の生前の実績を称えた、(エチオピアにしては)なかなか立派なもので、おまけに誰かが管理しているわけでもないので、自由に見ることができるという。ガイドブックなどには掲載されてはいない場所なので、ミニバスを乗り継いだり道に迷ったりと少々苦労したけれど、地元の人達に道を尋ねたりしながら何とかその場所にたどり着くことができた。
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