警官のリーダー格の男は僕にそう言うと、それから部下の一人に何かを命じた。命じられた部下は僕に手錠をかけることこそしなかったけれども、そのかわりに僕の手を掴み、連行しようとする。そしてそれに対して僕は積極的に抵抗しなかった。もちろんここで無理に抵抗することもできないわけではなかったが、しかしながらそれがベストの選択肢だとは、そのときの僕には思えなかったのである。
「仮に僕に非があったとしても、まさか裁判も無しに刑に処せられることは無いだろう。」
そういう考えが自分の脳裏に浮かんだので、ここはおとなしく従うことにしたのである。バックパッカーである僕がそのときにできる選択としては、それこそがベストだと思ったから。
もし僕がバックパッカーではなく、ジョン・スミスのような探検家で場所がアメリカ大陸だったなら、このような場面になると土地の女性である美しいポカホンタスが現れて
「もしこの人を殺すというのなら、私も一緒に殺しなさい!」
と言って命懸けで救ってくれるところだが、残念ながら僕は探検家ではなく、ただのバックパッカーだった。それにこの地にしてもアメリカではなくアフリカだった。だからそのとき僕の周りの人だかりから僕に注目を浴びせていた現地の女性達にしても、僕のことを助けてあげたいというよりは
「あの東洋人、いったい何をやらかしたのかしら?」
という表情で、連行されていく僕をただただ眺めているだけだった。
それから警官の詰所のようなところに連行された僕は、リーダー格の警官から取調べを受けることになった。取調べの内容は
「僕が何故写真を撮影してしまったのか?」
ということについてである。そしてその取調べに対し、僕は
「僕は旅行者です。旅行者が旅行先で写真を撮るのは普通の行為です。それに僕は空港とか軍事施設とかじゃなくて、ただ街の風景を撮っていただけです。」
と、ごく常識的に答えた。すると相手は
「スーダンで写真を撮るには、政府の許可が必要なんだよ。」
と、僕に言ったのだ。そして彼の言っていることは事実だった。スーダン政府は外国人に対してあまり寛容とは言えず、訪れる旅行者に対して幾つかの義務を課している。そのなかでも今回の件に関係する義務については、スーダン国内で写真の撮影を希望する者は、撮影のためのパーミッション(許可証)を取得する必要があった。でも僕はそのパーミッションを持っていた。エジプトの日本人宿に滞在していたときそこにあった情報ノートからスーダンでの写真撮影に関する情報を手に入れていたので、僕はハルツームに到着してすぐにそのパーミションを取得したのである。だから僕はそのパーミッションをバッグから出し、リーダー格の警官に見せながら言った。
「これがパーミッションです。僕はパーミッションを持っているんです。だから今回は連行は不当です。」
しかしながら相手は全くひるまなかった。
「確かに君はパーミッション持っている。しかし君はそのパーミッションの内容を全て読んだのかね?」
そう僕に質問を続けたのである。しかしながら僕には彼の言っていることが理解できなかった。すると相手は僕が提示したパーミッションに印刷されている一文を指でなぞってみせた。そこにはこう書かれていた。
「 To make film on the follwing subjects ― toulist attraction in Sudan.」
自分のパーミッションに書かれていたその文章を読んだとき、僕は正直に言ってすごく驚いた。まさかそんなことが書いてあるとは露ほども考えていなかったから。僕はハルツームに到着してすぐにこのパーミッションを取得したのだが、そのとき自分がすごく喜んだのを覚えている。何故ならこのパーミッションの取得により、堂々と写真が撮影できるようになるのだと、思ったから。しかしあまりに有頂天になっていたせいか、(まさしく警官が指摘するように)内容を詳しく確認するのを忘れていたのである。
「どうやらちゃんと読んではいなかったようだね?そこに書かれているように、たとえ許可証を持っていたとしても撮影できる場所は、例えば砂漠とかナイル川のような『観光地』に限られるんだ。そして君が撮影してしまった街の風景は、観光地とは呼べない。もうわかるね?要するに君はスーダンの法律を破ったんだよ。」
警官は厳粛な口調でそう説明した。確かにパーミッションをよく読まなかったのは僕の不注意だけど、それにしたって街の風景すら撮影してはいけないなんて、あまりにも厳しすぎないだろうか?だいたいスーダンという国に観光地と呼べる場所がどれだけあるというのだ?外国人が他国の法律に口出しするのが余計なお世話だということはじゅうじゅう承知しているけれど、あまりにも厳しすぎるような気がする。しかしながらここで目の前にいる警官とスーダン政府のやり方について議論することが今の自分を助けるのに少しの効力もなさないことは、自分でもよくわかっていた。あきらめて僕は警官に尋ねた。
「それで僕はどうすればいいのでしょうか?」
しかしながら、警官も僕の処遇についてどうすればよいのか悩んでいるようだった。きっと今回のようなことはそんなに起こることではないのだろう(スーダンという国はそれほど観光客が多くないのだ)。結局それから僕と警官は話し合い、最終的に僕は警官の目の前でデジタルカメラのデータを全て消去すること、今後絶対に観光地以外で写真の撮影をしないことを約束することで釈放されることになった。
釈放された僕は失ってしまった写真のデータを悔しがりながら、街を歩いた。ちょうど前日にメモリーカード内のデータをノートパソコンに移したばかりだったので、失ったのは今日撮影した写真のデータだけなのだが、それでもそのなかには自分でもかなり上手に撮影できたと思えたものが数枚あったので、やっぱり残念な気持ちに変わりはなかった。そしてそんなことを思いながらハルツームの中心であるスーク・アラビーまで歩いたとき、多くの武装した兵隊達と装甲車が広場を走り抜けていくのが見えた。ここ数日毎日見かけるその光景を再び目にしたとき
「でも、むしろこのくらいで済んでことを感謝しなくちゃいけないのかもしれないな。なにしろ、こんなご時勢だし・・・。」
僕はそう呟いていた。
ハルツーム暴動 ― それは僕等がスーダンに向けてエジプトを出国したのと同じ日、2005年の8月1日に起こったことだった。暴動の原因は二日前の7月30日に、ジョン・ギャラン第一副大統領の乗ったヘリコプターが墜落し、副大統領を含む全ての乗員が死亡したことにある。
ジョン・ギャラン氏はスーダン南部(スーダン人民解放軍)の指導者だった。スーダン北部(スーダン政府)とスーダン南部は今年(2005年)の1月に、20年以上にも及んだ内戦に関して包括和平に合意し、この7月9日には北部側のオマル・アル・バシール氏が大統領、南部側のギャラン氏が副大統領に就任して暫定政府が発足したばかりだった。そして今回のヘリコプター墜落に関して、スーダン政府は
「単なる事故である」
と、発表した。しかし南部側の人々はもちろん納得しなかった。自分達の指導者が副大統領に就任して1ヶ月も経たないうちに事故死するという、あまりにも北部側に都合の良すぎる筋書きに、彼等は暫定政府を信じることができずに
「我々の指導者はスーダン北部に暗殺された」
と、考えたのである。
|