ザグレブの駅での彼との別れは、僕を少々センチメンタルな気分にさせた。この旅では過去に何度か同行者を得たことがあり、そして当然それと同じ数だけの別れがあったけれども、今回の別れのように
「できればもっと一緒に旅をしていな」
と思った事は、正直言って初めてだった。そして今回僕がそんなふうに感じたのはおそらく彼と旅した長さのせいだと思う。彼とは5カ国(ギリシャ・ブルガリア・セルビア・ボスニア・クロアチア)を一緒に旅したが、僕がそんなに長く行動を共にした人間は他にいなかった。彼とはお互いに気を遣う必要もなかったし、一緒に旅を楽しむことが自然にできた。
でもどんなに一緒に上手く旅をすることができたとしても、旅の道中で知り合った以上は、いつかは別れてお互い自分の旅へと戻っていくことになる。基本的に一人で旅をしてきた僕には、それがわかっていたはずだった。しかしそれが実際に彼とこうして別れてみると、一緒に旅した時間が長ければ長いほど、それに比例して別れた後の戸惑いもまた大きくなっていくんだということが、今更ながらよく理解できる。
また彼との別れは僕をただ感傷的にするだけでなく、気弱にもさせた。誰かと一緒に旅することは、たった一人で旅するのに比べればやはり楽である。困ったときに頼れる人がいることは心理的な余裕を持つことができるし、面倒な交渉や手続きに臨むときは複数のほうが有利なのは言うまでも無い。つまらないことかもしれないけれど、移動の最中トイレに行きたくなったときに荷物を見張っていてくれる人がいるかいないかだけでも、随分変わってくるのである。だから僕はT沢クンと別れてスロヴェニアへと向かう列車のコンパートメントでひとり
「これからまた何もかも自分ひとりでやらないといけないんだな」
と、少々ネガティヴな気持ちになっていた。彼と一緒に旅している間、僕等はいろんな面で協力し合った。宿探しやチケット手配から食事のシェア、荷物の番から交渉ごとまで多岐に渡って僕はよく彼に頼り、もちろん彼も僕に頼った。そしてそんな日々が長くなるにつれ、僕は旅する仲間がいつも一緒にいることに慣れてしまったのである。
だから今、僕は自分の能力にあまり自信がない。トルコあたりまでは僕は何があっても自分で何とかできるだろうと思って旅を続けてきた。しかしT沢クンと長く一緒に旅した結果、僕は自分の持つ「旅の技術」(のようなもの)が錆び付いてしまったような気がするのだ。今度何か面倒なことに出くわしたとしたら、果たしてそれに(かつての自分がそうしてきたように)上手く自分一人で対処できるかどうか、疑問なのである。
そしてそんな僕を試す機会はすぐにやってきた。彼と別れてから半日も経たないうちに。
その機会が僕にやってきたとき、列車はザグレブを出発してからまだ1時間も走っていなかったと思う。なにやら車掌らしき人物が僕のいるコンパートメントに入ってきたので、僕は列車の切符を見せた。切符の検札だと思ったからである。しかし実際にはそれは検札ではなかった。彼は僕が提示した切符には目もくれず
「Do you have any document?」
と、僕に尋ねたのである。僕の英語力に問題が無ければ「Do you have any document?」を日本語に置き換えると
「何か書類を持っていますか?」
という意味のはずである。しかし僕は自分がいったいどのような書類について質問されているのか全然わからなかったので
「書類って・・・どんな書類ですか?」
と訊き返したのだが、その係官は「any document?」と、もう一度繰り返しただけだった。それで「これではさっぱり埒が明かない」と思った僕は仕方なく
「特別な書類は何も持っていません」
と、答えた。すると係官は何だか困ったような表情をする。でも困っているのは僕も同じである。それで僕と車掌は書類について身振り手振りを交えたやり取りを幾つかしたのだが、そのときふと僕は
「これはひょっとしたら『入国審査』ではあるまいか?」
と思いついたのである。そして僕はマネーベルトからパスポートを出して車掌に見せると、彼は「なんだ持っているならどうしてもっと早く出してくれないんだ」という表情で受け取った。どうやら僕の予想は当たったみたいで、彼は車掌ではなく入国係官だったのだ。まさかクロアチアの首都とスロヴェニア国境がこんなに近いとは思わなかったから、僕も気づくのが遅くなってしまったけれど、しかしそれならそれで彼も「ドキュメント」なんて繰り返さずに「パスポート」と言ってくれればよかったのに。
それから入国管理官は僕のパスポートを見ながら質問をする。「所持金はいくらか?」とか「ボスニアでいったい何をしていたんだ?」とか、そんな質問に僕はひとつひとつ「日本から来ました」、「ただの観光です」と、真面目に答えた。そして僕の答えを聞き終えると彼は僕に向かって
「君の名前をこの紙に書いてみてくれないか。パスポートと同じように・・・・・日本語で。」
と、言って僕に紙を差し出したのだ。最初に上手くコミュニケーションを取れなかったせいかもしれないが、ようするに僕は「本当に日本人なのかどうか」疑われていたのである。今までの旅で日本人と見られなかったことは何度もあったけれど、そういうときは「僕は日本人です。」と、説明すれば大抵の相手は納得してくれた。しかし今回僕は言葉で説明したうえ更に自分のパスポートを提示しているのにもかかわらず、まだ素性を疑われているのだ。こんなことはさすがに初めてのことである。東欧地域では偽造した日本のパスポートを利用して入国し、職を得ようと試みる東洋人が後を絶たないという噂を以前に耳にしたことはあったけれど、実際に自分がそれを疑われるハメになるなんて全く思いもしなかった。
しかしだからといって、いつまでもそんなことに感心しているわけにもいかない。疑われて気分が悪いことこの上なかったが、「日本語で名前を書くこと」を拒否して入国拒否されるのも嫌だった。だから僕は彼が差し出した用紙を受け取り、そこに自分の名前を日本語で書く。その間パスポートは係官が保持したままである。彼はパスポートに書かれているサインを見ずに、僕が日本語で名前を書けるかどうか試しているのだ。
名前を書いた用紙を係官に渡すと、彼はパスポートのサインと僕が書いた名前をしばし見比べていた。それから係官はおもむろに入国スタンプをパスポートに押し、それを僕に返すと何事も無かったようにコンパートメントを出て行った。後味の悪い入国審査だったが、とりあえず日本人であることは証明できたようである。
列車は更に数時間走り続けた後、スロヴェニアの首都であるリュブリャーナに到着した。僕は市内中心にある宿にチェックインすると、すぐに観光案内所へ足を運ぶことにする。知りたいことがあったからだ。
そこで僕が教えてもらいたかったことは、インターネット・カフェの所在である。日本にいる知人にどうしても連絡しなければならないことがあったのだ。国際電話という方法もあるにはあるが、コストの面でバックパッカーはほとんど利用しない。
観光案内所で僕は3軒のインターネット・カフェの場所を教えてもらった。無料配布の地図をもらい、その所在地に印をつけてもらう。観光案内所から一番近いところはホテルのビジネスセンターだった。僕はとりあえずそこへ行って金を前払いし、パソコンを立ち上げ、そしてブラウザを開いてみると、日本語を表示することはできるのだが入力することができない。それで僕はコントロールパネルの言語オプションで日本語を入力できるように設定しようとしたのだが、コントロールパネルは第三者によって触れられることがないようにロックされていた。ビジネスセンターの係員にロックを解除してもらうように頼んでみたが、聞き入れてもらえなかった。
それから僕は案内所が教えてくれた2件目の場所へいく。そこは普通のインターネット・カフェだった。料金について尋ねると、後払いだというのですぐネットにアクセスしてみる。すると案の定、日本語を入力することはできなかった。しかし今度はコントロールパネルを開くことができたので、日本語入力できる設定にして『OK』をクリックすると
「ドライブにCD−ROMを入れてください」
という表示が現れた。基本ソフト「ウインドウズ2000」には日本語フォントが標準で付属しているのだが、日本以外の地域で販売されるパソコンには出荷の段階で日本語を組み込むことはない。つまり日本語を使用するためには付属のCD−ROMからフォントをハードディスクにインストール必要があるのだ。日本人ツーリストが多く訪れる地域に存在するネット・カフェでは店側がサーヴィスの一環として日本語フォントをインストールしているところもあるが、今僕がいるこの店はそうではなかった。なので
「日本語をインストールしたいんですけど、ウインドウズのCD−ROMを借りられますか?」
と店員に尋ねてみたところ、どうやらCD−ROMは店のオーナーが管理しているらしく、結局日本語をインストールさせてもらうことはできなかった。これで連続2軒目、金額にして既に500円くらい無駄にしたことになる。僕は
「国境では無理やり日本語を書かされたと思ったら、今度は逆に日本語が全く書けないときたもんだ。全くとんでもない国だな。」
と、店員にわからないように日本語で筋違いな文句をぶつくさ言いながら店を出て、それから案内所で教えてもらった3軒目、つまり最後の店へと向かうことにした。
「ここは日本語でインターネットはできますか?」
その店に着いたとき、僕は今度は最初に日本語が使えるかどうか確認してみた。すると
「どうかしら?試したことないからわからないわ。」
と、応対してくれた女性が答えた。
「じゃあ日本語が使えるかどうか、僕にチェックさせてもらえますか?」
「何か注文してくれればね。」
「注文?」
「このお店は基本的にカフェなのよね。コーヒーとか紅茶を飲みにきたお客さんがインターネットを使えるってことになってるの。そのかわりもちろんインターネットは無料よ。」
彼女は僕に対してそう答えた。これまでいろんな国のいろんな街でインターネットにアクセスしてきたけれど、このような店は僕にとって初めてである。なぜなら今までどこの国の店でインターネットをしても、その料金はアクセス時間に対して従量制で支払うべきものだったから。しかし僕は彼女の言い分には素直に納得できた。あるいはこれがインターネット・カフェのあるべき姿なのかもしれない。僕が今まで利用してきた店は「ネット・カフェ」ではなくて、「ネット屋」と呼ぶのが正しいのだろう。
とりあえず僕は180トラール(約100円)のカプチーノを注文してテーブルに着き、パソコンを立ち上げてみる。するとモニターには「ウインドウズNT」という表示が出てきた。それからインターネット・エクスプローラーを起動してみると、日本語は入力どころか読むことさえできない。僕はため息をついて、ちょうど運ばれてきたカプチーノを一気に飲み干し、勘定を払って店を出る。
結局、僕は日本語で書いたメールを送信するのをあきらめることにした。探せば他にもネット屋はあるのかもしれないけれど、3件の店を廻ってできないんだから、あと何件廻ってもたぶんダメだろうと思ったのだ。僕はいったん自分が滞在している宿へと帰ることにした。
部屋のベッドに寝そべりながら、僕はこれからリュブリャーナで何をすべきか考えてみたのだが、それはなかなか思いつかなかった。普通ならぶらっと街を歩くところだが、あいにくとほとんど内陸国に等しいスロヴェニアの冬は、目的も無しに散歩をするには少々寒すぎる。仲間がいれば部屋で酒でも飲みながらハナシをするのが一番なのだが、もうそれができないことは自分でもよくわかっていた。そしてツーリスト・インフォメーションでもらってきた無料の地図を眺めながら最終的に無理やりアタマからひねり出したのは
「(ニセの)国際学生証をが本当に使えるのかどうか試してみる」
という、どうにもくだらないアイデアだった。僕はトルコのイスタンブールで旅を続けようと決心したとき、大金をはたいて国際学生証を手に入れたのだが、それ使ったことはまだ一度もなかった。僕に観光する気が全然無かったというわけではない。ギリシャにいるときは博物館見学を誘われたのだが、「日曜日は見学無料」 というまるでバックパッカー対して設けられたような規則があったので、わざわざ金を払って平日に見学する必要はなかった。ブルガリアでも最初はどこか観光するつもりだったけど実際には買い物をするのに忙しく、セルビアとボスニアにはそもそも観光地がなかった。
ツーリスト・マップによれば、「リュブリャーナ城」というのが僕が宿泊している宿からもっとも近い観光スポットということになっている。そのリュブリャーナ城でいったい何を見ることができるのか全く知らなかったが、それはこの際どうでもよかった。展示に興味があるのではなく、(ニセの)学生証を使いたいがために博物館に行なんて本末転倒だし、こんなことをしていたら偽装パスポートで不法就労する東洋人をとやかく言う以前に学校関係者から自分が非難されそうだけど、そのときの僕にはそれさえも気にならなかった。僕はリュブリャーナ城へ行くことにした。
|