僕はその輝きを眺めながらため息をひとつつき、なかなか納得できない気持ちをチャイと一緒に飲み込んでしまうことにした。
バムの街で『アルゲ・バム遺跡』を見学した後、僕はすぐに次の街へ移動するつもりだったのだが何故だか腰を上げるのが億劫になってしまい、なんだかんだと計五日間も滞在してしまった。このところ平均するとひとつの街に2泊3日の滞在という速いペースで移動していたので、たぶんその疲れが出たのだと思う。
しかしずっと一緒にパキスタンを横断してきたH之クンは、どうしてもバムに2泊以上滞在する必要性を見出せず、(きっと彼も疲れているのだと思うのだけど)僕を残して次の街へと向かって行った。これはある意味賢明な選択だったと思う。どうしてかというと僕はバムでの残りの期間、田舎町でやることもなく、ただ宿でゴロゴロしていただけだったから。おかげで疲れは取れたのだけど、良くないことに「何もしないこと」に慣れてしまい、僕は出発を1日また1日と先延ばしにしていた。
ただずっと宿にいたおかげで僕は何人かの旅行者と知り合うことができた。こんな辺鄙な街の宿にもかかわらず、ドミトリーにはドイツ人やイギリス人、日本人のバックパッカーが滞在していた。そしてその日本人バックパッカーがT本クンだった。ドイツ人とイギリス人は西洋の国から来ただけあって、これからは東のパキスタンへ進むとのことだったが、T本クンはパキスタンからイランへ入り、これからこの広い国(イランの国土は日本の約5倍)を西へと横断するそうで、僕と同じようなルートだった。
更に詳しく聞くと彼もH之クンのようにバムには1泊だけしかしないというので、僕は慌てて荷造りを始めることになった。彼と知り合ったこの幸運な機会を逃すと、ズルズルとこの街に滞在し続けることになってしまうかもしれないと、僕は思ったのだ。ずっと一緒に旅するとはいかなくても、せめてこの街から引っ張りだしてもらえば怠け癖も吹き飛んで、また今までどうりにテンポ良く旅していけるだろうと、この際他力に頼ることにしたのだ。彼は僕の申し出を快く受け入れてくれて、僕等は一緒にバムを出ることにした。
僕達が進むことに決めた街はケルマーン。バムからはバスで3時間ほどの距離に位置するケルマーンはケルマーン州随一の(そして唯一の)の大都市だ。しかしながら僕達は特に目当てがあってこの街にやってきたわけではなかった。ケルマーンはその名のとうりこの州の州都なのだが、とりたてて特別なものがあるわけではない。ガイドブックによると見所はバザールとモスクぐらいしかないらしいのだが、バザールとモスクだったらイランのどんな小さな街にもセットで存在しているから、これから嫌というほど見ることができそうだった。わざわざケルマーンで見なきゃいけないということもあるまい。
唯一行ってもよさそうと思えたのは、「ヴァキール」という名のチャイハネ(チャイを飲ませる店)だった。そこはイランに無数にあると思われるチャイハネのなかでもかなりの有名店らしく、地元の人間はもちろん他の地方から訪れる者も多いそうなのだ。僕達はせっかくケルマーンにやってきて少なくとも1泊か2泊はするのだから、せめてその店くらい行っておこうかということになった。チャイの値段なんて高が知れてるから、それほど贅沢ということにもならないだろう。
しかしそのチャイハネに行く前に僕達にはすべきことがあった。それは僕達バックパッカーが街を移動する度にまずやらなければならない定番行事、ようするに寝床の確保である。
郊外のターミナルからタクシーを使って街の中心部までやってきた僕達は早速宿探しを始めることにした。もちろん街の中心部までやってきたのには、それなりの理由がある。イランの街の中心部には(それがどのような街であっても)メイダーネと呼ばれる広場があって、メイダーネの周辺には大抵の場合旅人を泊める宿が幾つかあるからだった。そして僕達の目当てはその幾つかのなかでも、もちろん料金の低い安宿である。僕達はいかにも安そうに見える宿を選んだ後
「サラーム!(こんにちは!)」
と、ペルシャ語で挨拶しながら宿の入口に足を踏み入れる。そして僕は受付にいた親父に、ここからは英語で
「すみません部屋ありま・・・・」
すみません部屋ありますか?と、尋ねようとしたところ
「ナ!」(ペルシャ語の「ナ」とは、英語の「No」にあたる言葉である。)
と、いきなり親父は僕等に向かって言い放った。
もちろんそのとき僕はビックリした。いったいどうしたというのだろう、「部屋ありますか?」と言い終える前に断られるなんて、いくらなんでもひどすぎる。あまりの応対の悪さに気分を害した僕等はすぐにその宿を出る。歓迎されないところに無理して宿泊することはない。
それから僕等は目星をつけていた、もう一軒の宿へ向かう。さきほどの宿と一緒で見た目はパッとしないが、やはり料金は安そうである。僕等は再び「サラーム!」と挨拶しながら宿へ入ると、受付にいた男性の従業員が
「Full!(満室だ!)」
と、英語で僕に言った。どうやらこの宿の従業員は少しは英語ができるようだ。でもちょっと待って欲しい、まだ何も尋ねてないんだけど・・・。
英語の件はともかく、それにしても調べもせずに「満室だ!」なんてあんまりだ。僕達は今度は少し粘ってみようかとも思ったのだが、その従業員はとりつく島もなく、ただ「〜ホテルへ行け」と言うだけだった。
その宿を出て、さすがに僕等は少し落ち込んだ。こんなことは中国を出てからはなかったことである。どうやらイランは中国と同じく、政府が外国人が滞在できる宿泊施設に制限を設けているようなのだ。そのハナシは以前に噂で聞いたことがあったのだが、実際イランに来るまで僕はその噂をすっかり忘れていたのだった。
中国政府やイラン政府がどうしてそんな規制をかけているのかについては、バックパッカーはいろんな憶測をしている。「政府の目の届かないところで外国人に自由に行動してもらいたくないからだ」という穿った見方をする者がいれば
「何か事故が起きたときに居場所がわからないと、安全を保証できなくなるため。」
という、ガイドブックに書いてあるもっともらしい理由を額面どうりに信じている者もいる。いずれにしても政府が外国人に勧めている宿泊施設というのはいったいどんな宿なのかというと、それはいわゆる『ホテル』のことであり、当然のことながらその料金はバックパッカーにとっては安いとは言えない・・・というか、ハッキリ言って高いのである。だから僕個人としては『安全』もさることながら、できれば『宿泊の自由』を保障してほしい。ようは安宿に泊まりたいのである。
そのあと僕達は先ほどの宿の従業員が言っていた「〜ホテル」というところへ行ってみることにした。名前に「ホテル」と付くのがちょっと料金が高そうな気もするが、アジアでは名前こそ立派だけど、実際にはオンボロ宿だったということが多々あるので、僕達はそれに期待することにした。宿がオンボロであることを期待するというのも妙なハナシだが。
で、そのホテルに行ってみたところどうだったのかというと、僕等はガッカリしてしまったのである。そこはいかにも「ここはホテルです」というような立派なホテルだったのだ。先日のバムのような日干しレンガの建物ではなく、コンクリートのビルディングだった。敷地も広く、駐車場まで完備されていた。なんか料金が高そうな気配がする。でも、とりあえず僕達は中に入ってみることにした。他に当てもなかったし、さっきの宿の従業員の素振りでは外国人も宿泊できそうだったからだ。受付でハナシだけでも聞いてみよう。
建物に入ると、そこは広いロビーになっていた。豪華なソファーセットが置かれ、隅々にはシックな調度品や観葉植物があった。ますます高そうな雰囲気だ。でもそれは顔に出さずに僕は受付で
「部屋を見せてもらいたいんだ、一番安い部屋をね。」
と言うと、応対してくれたいかにもホテルマンらしい男性は
「カギを渡すから、君達で自由に見てきてくれ。」
と言って、僕等にカギを渡してくれた。カタコトというよりは、完璧な英語だった。今度は拒否されなかったから、どうやら外国人の宿泊は問題ないようだが、しかし彼の完璧すぎる英語が怖い。外国人慣れしているのだ。ここは外国人ばっかり宿泊するホテルなのだろうか?そうだとしたら料金も高いのではないだろうか?僕は少し不安になったが、とりあえず部屋を見せてもらうことにした。高級ホテルに宿泊した経験がないのでよくわからないけれど、まさか見るだけでカネを取ったりはしないだろう。
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