「No Smoking!」
と言った後、タバコを棄てるようにジェスチャーで示した。そう言われた僕は一瞬ビックリしたけれど、何故そんなことを言われたしまったのかについてなんとなく思い当たる節があったので、その男性の言葉に従ってタバコを吸うのを止めることにした。そして
「なんだ、『ラマダン』っていうのはタバコを吸うのも駄目なのか・・・。」
と、声に出して呟いていた。
ラマダンは『断食月』と呼ばれるイスラム教の風習だ。毎年イスラム暦の9月にあたる1ヶ月間、彼等は「飲まず食わず」で毎日を過ごす。今年(2002年)のラマダンは11月中旬からの1ヶ月間であり、僕がパキスタンに入国した時期はまさにラマダンの最中だったのだ。
それにしてもイスラム教の国へ行く以上、酒が飲めなくなることは覚悟していたけれど、タバコも口にできないことになるなんて予想もしていなかった。ようするにラマダンは食事をしたり水を飲む行為を禁じているだけでなく、「何かを口に含む」ことを一切許していないのだ。しかしそれではいったいなんのために僕は、あれほど待遇の良かったアムリトサルを後にしたのかわからない。僕はタバコを吸うためにアムリトサルを出てきたようなものだったのに。
もちろん僕はイスラム教徒ではないから、彼等の宗教的義務を僕が遵守する必要は、無いと言えば無い。しかしながら実際に我慢している人達が目の前にいるところで、自分だけが水を飲んだり、タバコを吸ったりする勇気もまた僕には無かった。それで僕は
「こんなことなら、もう少しアタリ(インド国境の街)に居るべきだったかな・・・」
と、パキスタンに入国したのを後悔してしまうぐらいだった。「それは、わざわざそんな時期にパキスタンにやってきたオマエが悪いんだ。」と、言う人もいるかもしれないが、これに関しては僕にだって言い分はある。今でこそ国境は開かれているがインドとパキスタンの政情を考えると、いつまた国境が閉じられたとしても不思議ではなかったから、行けるときに行くしかなかった。時期を選ぶ余裕など、僕等には無かったのだ。
僕等というのは僕と、もう一人はH之クンのことだ。彼と僕は今も一緒に旅を続けている。そのH之クンから聞かされたことで、こんなハナシがある。彼はラホールにいたとき、あまりにもお腹が減ったので仕方なくマクドナルドに足を運んだという。(パキスタンにもマクドナルドがあるのだ。)南アジア各国のマクドナルドというのは外食産業のヒエラルキーにおいては「高級」なランクに位置づけられていて、ついでに価格も一般の食堂や屋台などと比べるとやっぱり「高級」なので、バックパッカー度々利用できる場所ではない。それでもH之クンはそのとき本当にお腹が減っていたので、その出費を覚悟してマクドナルドに行ったのだった。ラホールのマクドナルドは当時僕等が滞在していた宿からは結構離れた場所にあったのだけれど、H之クンはあまりの空腹さに「ファストフード・チェーンの世界標準」と、思われるマクドナルドならばラマダン中でも食事ができるのではないか?という希望的観測を勝手に持ってしまい、遠出することにしたのだった。ところが実際に行って見ると店頭には
「営業は17:00から」
という案内書きがあって、食事をすることはできなかったのだそうだ。パキスタンのラホールは僕達バックパッカーの間では治安が悪いことで有名な都市で、H之クンもまた夜に食料を求めてラホールの街を徘徊することもできず、結局あきらめざるを得なかったのだ。
このH之クンのハナシのポイントは、もちろん「営業は17:00から」というところにある。いくらラマダンだからといっても1ヶ月間も全く飲食しなかったら、普通の人間は死んでしまう。コーランが信者に対して求めているのは、「日の出から日の入りまで」の断食で、だいたい朝の5時から夕方の17時までのおよそ12時間である。つまりその規範を逆手に取れば、「朝5時前に起きれば食事をしても構わない」ということになる。しかしながら僕等のように時間に縛られない生活を続けているバックパッカーにとって「5時前に起床する」という行為は、ハッキリ言って断食よりも難しいことである。
「マクドナルドでも食べれないんだから、もうどこに行っても食べれないよ・・・。」
と、まるで『この世の終わり』来たかのような表情でH之クンは僕にこぼしたものだった。天下のマクドナルドでさえも、イスラムの神聖な習慣を無視してまで利益を上げることはしないのだ。H之クンは僕よりもずっと大柄で、またバックパッカーにしては普段からよく食べる男だったから、余計に辛かったのだろう。それに対して僕はどうだったのかと言うと、僕はこの旅の始めから節約生活を心がけてきて、食事も1日に3度摂ることは無かったし、移動が重なったときなどは1日に1度しか食べないことも多々あったから、辛かったのは確かだったけどH之クンほどではなかったと思う。むしろタバコを我慢しなければならないほうがよっぽど辛いくらいだった。
そんなわけでH之クンはお腹を空かせ、僕は口元に寂しさを感じながらペシャワール行きのバスに乗り込んだのだった。
僕等を乗せたバスはラホールを出発し、よく整備された真新しい高速道路を西に向かってひた走る。こんなにマトモな幹線道路を見るのは久しぶりだ。バスもエアコン付きで申し分なく、インドとは大違いである。途中車窓からはインダス川を見ることもできたし、本当に快適な移動だった。そしてタキシラという街を経由し、7時間後にバスはペシャワールの旧市街に到着した。
ペシャワールは「国境の街」という意味で、部族としては世界最大を誇るパターン人が実質支配するパキスタン北西辺境州の州都である。しかしながら世界最大の部族はともかく、北西辺境州とはまたすごい名前だ。自分達が住んでいるところが『辺境』なんて呼ばれることに対して、パターン人達がどのように感じているのか僕にはわからないが、そんな州名がつけられているのも仕方がない事なのかもしれない。なにしろパキスタン北西辺境州と言えば、「アルカイダの首領ウサマ・ビンラディンや、タリバンの最高指導者ムラー・オマルが潜伏しているのが間違いない。」と、されている地域なのだ。アフガニスタンと国境を接し、米英軍の追跡を逃れるのに適した土地なのだから、やっぱり『辺境』なのだろう。旅行用ガイドブックが溢れるこの時代、「もはや、世界に『秘境』など存在しない。」とは良く言われることだが、『辺境』に関してはどうやらまだまだ健在な様である。少なくともパキスタンに限っては、しっかり存在していると言える。
しかし実際にペシャワールの街を歩いてみると、やはり州都だけあって残念ながら街中に限って言えば「辺境らしら」を感じることはあまり無かった。そしてラホールのように高層建築物が立ち並ぶ都会でもなかった。大きな街ではあるが、「田舎町」と形容するのが最も的確な表現ではないだろうか。ラマダンの期間中だからかもしれないが、人通りも少なく活気というものがあまり感じられなかった。
むしろ感じられたのは、「ちょっと物騒な街」という印象である。なぜならこの街では実に数多くの銃を目にしたからだ。僕等が滞在しているような安宿にこそいなかったけれど、比較的マシなホテルや銀行の支店などでは必ずと言っていいほど肩からライフルを提げた私兵というか、ガードマンを立たせている。そして街中ではそういったライフルを販売する銃砲店も多い。今まで滞在してきた街のなかで、警官以外で銃を(いかにも見せびらかすように)携帯している人間をこれほど多く見かけた街はない。まだ来たばかりで警備のために本当に銃が必要な街なのかどうかわからないけれど、これほど沢山の銃を見かける街というのは歩いていてもあまり楽しくはない。
だから僕はペシャワールでは宿にこもることが多かった。なにしろ街はおっかない上に相変わらず女性は全く見かけないとくれば、引きこもってしまうのも当然のなりゆきだった。おまけに部屋にいる限りは人目につかずタバコを吸うことも自由だ。ただ飲食に関しては、どうにもならなかったけれど。
ラマダン中のパキスタン人はどうやら5時前に起床して、家の中で女性が作った朝食をしっかり食べているらしい。では僕等も頑張って朝5時前に起きるかと思わないでもなかったが、残念ながら5時前という時間は、あたりまえのことだけれど食堂は営業していない。(もちろん昼間も営業していない。)ではパキスタン人家庭のように自炊すればいいのかというと、これには材料を手に入れることができないという、料理をするという以前の問題があった。
ラマダンの期間中なので食堂が営業していないのは仕方の無い事なのかもしれないけれど、それだけではなくて、実はバザールなどで食料品を扱う店もまた全く営業していないのである。これには本当に参ってしまった。正直言ってパキスタンのラマダンがここまで厳格だとは思ってもいなかった。ようするに僕等は彼等の信仰を甘く見ていたのである。また、「ではパキスタンの家庭は材料をどうやって入手しているのだろうか?」という疑問がふと頭をよぎったけれど、よく考えれば彼等は旅行者ではない。ラマダンの1ヶ月が始まる前に買いだめしておけばいいだけのことだ。
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