おまけにこの2泊3日という所要時間が、このルートでは時刻表どうりだというのだから、これまた二重の驚きである。おかげで僕等はパキスタンがいかに広大な国であるかということを身をもって実感することができた。そして付け加えるならば、「パキスタンの長距離列車に乗るときは、あらかじめ食料を買い込んでおかなくてはならない。」ということを教訓として学ぶこともできた。
実はパキスタンで列車に乗るのは僕等にとって今回が初めての経験だったのだけれど、僕等は特に食料を確保せずに列車に乗り込んでしまったのである。何故僕等があらかじめ食料を買い込んでおかなかったのかというと、それはインドで何度か長距離列車を利用した経験が僕等に
「列車内では食料を買えるものだ」
という何の根拠もない意識を植えつけていたせいだというしかない。インドの列車ではチャイやコーヒーといった飲料だけでなく、オムレツやスナック菓子などの食料を売り歩く人間が必ずと言っていいほど車内を歩き回っていた。だから僕等は、「列車内という場所は食料を確保するのに不自由するところではない」と、無意識に思い込んでいたのである。
ところが実際にペシャワールから列車に乗り込んでみたところ、パキスタンの列車には車内で食料を売る歩く役割の人間が、僕等の予想に反して全くいなかったのである。ペシャワールを出発してクエッタに向かうこの列車は、首都イスラマバードと双子都市の関係にあるラワールピンディーや、中部のムルタンといったパキスタンの主要都市を結ぶ幹線を走るから決してローカル路線というわけではないのだが、そのわりには乗客は少なく、そのせいなのか車内で食料を売る人間というのも一人も見かけなかった。インドの列車では食料を売る人間だけでなく、勝手にコンパートメントの掃除をしては喜捨を要求する物乞いや、頼みもしないのに歌や踊りを披露してはやはり喜捨を要求するゲイのような連中がいたりして、落ち着いて本を読むこともできないくらいなのだが、それに比べるとパキスタンの列車内というのは何度かインドの列車を経験した僕等にとっては、やけに静かに感じられたものだった。
もちろんパキスタンの列車に物乞いやゲイがいないからといって僕等が困るということは当然ないわけだけど、食料が買えないということに関しては本当に困ってしまった。僕等はぺシャワールでの断食生活が終わったのもつかの間、またまた空腹状態に逆戻りしてしまったのである。それで僕等は、「パキスタンでは食事をするということに関して本当に運に見放されているのではないか?」と、思い込んでガッカリしたものだった。しかしガッカリしているだけではあまりにも非建設的なので、せめて他の旅行者たちが僕等と同じ目に遭わなくて済むように
「もう僕等はパキスタンで列車に乗ることはないけれど、イランからパキスタンへ来る旅人のために、クエッタに着いたらパキスタンの列車について『情報ノート』に書いておいてあげよう。」
と、思ったのだった。
『情報ノート(Infomation Notebook)』なるものを海外で読んだことがある人というのは、日本にはそれほどいないのではないだろうか。何度か海外に行ったことがある人でも、「読んだことどころか、そんなノートがこの世に存在していたなんてことも知らなかった。」という人のほうが、むしろ多いかもしれない。それでは『情報ノート』というのが一体どんな読み物なのかというと、これは間に合わせでつけてしまったようなその即物的なタイトルが示しているとうりに、旅行者(特に長期で旅するバックパッカー)にとって非常に価値のある情報が、旅行者自身によって書き込まれてあるノートのことである。このノートが置いてあるのは大抵の場合バックパッカー宿と呼ばれる安宿で、ノートには日本語による書き込みがあれば英語やハングルによって書き込まれた情報もあり、「いろんな国の人間が書き込んでいるんだなあ。」と、読む者に思わせるなかなか国際的なノートであると言える。
そしてノートに書かれている肝心の情報というのが、これまた書き手に負けないくらいに様々な内容で、
「〜バザールの奥には○○ルピーでお腹いっぱい食べれる飯屋がある。」
「〜ストリートには日本語入力できるPCを置いているネット・カフェがある。」
といった本当に役立つ情報がある一方で、
「〜遺跡ではどこから侵入すればチケットを買わずに済む。」
「〜へ行けば安全に、しかも安くガンジャ(マリファナ)を買うことができる。」
といった全てのバックパッカーが活用できるとは言いがたい情報もあったりする。どの情報にも共通している点としては、(書き手がインターナショナルなわりには)内容がローカルかつ局地的であるということ、まずガイドブックには掲載されない内容だということ、そして情報の正確性がかなり高い、というその三点だ。
僕がその情報ノートというものを初めて目にしたのは、パキスタンのラホールにある安宿に滞在していたときのことだった。ひょっとしたら僕がそれまで滞在してきた各国の安宿にもあったのかもしれないけれど、少なくとも僕はその存在に気付くことはなかったし、また気付いたとしても見る必要は無かったと思う。どうしてかというと東アジアや南アジアという地域は北米やヨーロッパほどではないにしても、やはり外国人旅行者の多い国々だから、知り合う旅行者達と情報を交換するのは決して難しいことではないし、ガイドブックを持っているのであれば、その両方で十分に用は足りるからだ。
しかし、それがインドから国境を越えてパキスタンに入国したとたん、その状況は一変してしまった。どのように変わったのかというと、見かける外国人旅行者の数が激減したのである。ラマダンの時期を選んでパキスタンを訪れる旅行者もそんなにいないと思うから、その影響なのかもしれないけれど、それを差し引いて考えたとしても少な過ぎるのである。実際のところパキスタン滞在中に宿以外の場所で外国人旅行者を見かけたことは1度も無かったくらいだ。パキスタンはインドや他のアジアの国々と比べると、外国人が選ぶ旅行先としては恐らくマイナーな国なのだろう。
それだけにラホールの宿にあった情報ノートから仕入れた内容は、僕等にとっては貴重なものだった。それはパックツアーを利用する人や短期旅行者が読んだとしても、さして意味のあるものではないだろうが、「安く、長く、できれば危険ではない」旅を続けるバックパッカーにとってはとても有効な情報源であるのだ。
そして僕等はクエッタの街で、ラホールで仕入れた情報を活用して宿を選んだ。情報ノートが勧めていたクエッタの「ムスリム・ホテル」という宿は、安いうえに立地も良く、またそこにも情報ノートが置いてあるということだったからだ。そして僕は宿にチェックインしてすぐに従業員から情報ノートを借り、パキスタンの列車について書き込んだのだった。
それからの数日間は、僕等はいろいろと雑務をこなしていた。クエッタという街はバローチスタン州の州都なのだがこれといった見所があるわけでもなく、この地域を西へ向かうバックパッカーにとってはイラン入国への足ががかりになる街としての存在でしかない。
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